こんにちは。能登美です。
当店が創業した当時、お米は全て七尾市白馬町「小道さん作純米コシヒカリ」を使っていました。
そのお米は本当に美味しく、12年前、まだランチ定食をやっていた頃いろんなお客様に褒められました。
あるお客様は「いつもスーパーで10kg4000円のお米を買っているがぜんっぜん美味しくない!」
「だからこのお店のお米を売ってくれませんか?」と言って頂き、とても嬉しかった事を覚えております。
その小道さんとは、僕の母方の実の叔母とその旦那の義理の叔父夫婦でございます。
自分が生まれて一か月も経たない頃から寄せてもらい、本当に言葉では表せないほど可愛がって頂きました。
僕の中では生まれた時から今までずっと「白馬(しろんま)おじちゃん」です。
僕は1歳で父を病気で亡くしました。ですが周りの方達の優しさのお陰で
片親でも今まで寂しさを感じる事無く生きて来ることが出来ました。
その中でも「しろんまおじちゃん」には特に可愛がってもらいました。
血は繋がっていないのですが、なんであんなに?というほどです。
それこそ遊びに行かない方が機嫌が悪くなるくらいでしたね。
おじちゃんは山や田んぼに農作業に行くのですが、
僕はいつも連れて行ってくれとせがむのです。勿論その農作業を手伝うわけではありません。
耕運機に乗せて欲しいのです。子供の頃あんなカッコイイ乗り物は無いと思っていましたね。
なんて云うんでしょうね・・・・カウボーイのような感覚だったのでしょうか・・・・
とにかく大好きで、おじちゃんが農作業する横で、止まっている耕運機に乗ったり降りたり
運転する真似をしてみたり・・・・何時間でも遊んでれましたね。
母親の配達に付き添ってよく小道家に寄る事があったのですが、
敷地に走って入り「おじちゃん!!」と自分が叫ぶと
「おぅ~来たか!!」といつでも満面の笑みで迎えてくれました。
先週、何故か白馬町の、あの頃の田んぼと夕日が沈む風景がボォ~っと脳裏に浮かびました。
いえ、本当は浮かんだのか誰かと思い出話をしたのか判らないのですが・・・・
その二日後母親から連絡があり、「しろんまおじちゃん」が亡くなったと聞かされました。
ところがです・・・・「気持ちは痛いほど解る!!本当に解るから今は来ない方が良い」
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あんなに世話になったのに、あんなに可愛がってもらったのに、何もまだ恩返しもできてないのに、
最後にお見送りする事もできないなんて・・・・・
若かりし頃の自分なら間違いなく行ったでしょうね・・でも、他の方に迷惑をかけてまで行っても
何も良いことはない。第一、当のおじちゃんも喜んでくれないと想い、
自分はグーグルマップで白馬町の方向を確認し手を合わせました。
「おじちゃん本当にさんっざん世話になったのに、ちゃんとお見送りにも行けんでごめんね。騒動が収まったら何おいてもすぐ参りに行くからね・・45年間ありがとうございました。」
いつまでですかね・・・・・貢さんの時もそうでしたが・・・・
あまりにも辛くて完全な個人のお話になってしまい申し訳ありません。
今は只々普通の二文字が恋しいです・・・・
(写真に写っているのは、僕の仕事机の右上の窓の所ですが、今まで、退社する際にスタッフが僕にくれたモノと
七年ほど前に「しろんまおばちゃん」が夫婦二人共元気やよ!と手紙と一緒に送ってくれた写真です)