水道橋 居酒屋「人生で一番焦った日・・・・」・・from 能登美

 

こんばんは。能登美です。

皆様にとって今年はどんな年でしたか?・・・・自分にはなんで!?こんな試練なんて絶対いらないよ・・・・と云う年でした。

例年大晦日と元旦は田舎から母親が東京に出てきて自分の家で一緒に新年を迎えます。

ところが去年の12月30日母親から熱が少しあるから様子を見ると連絡があり、次の日の朝、大事を取って旅券等全てキャンセルしたと知らされました。

その時はまぁ別に治ってからゆっくり来たら良いぐらいだったのですが・・・・

 

能登沖地震。何千年に一度という規模との事。

 

何も知らずに初詣を終え家に帰ると、色んな人から「津波大丈夫ですか!?」と連絡があり、何を馬鹿な事をとTVを付けたその刹那

頭が真っ白になり、スマホで母親に電話かけまくりました。

何度目のかの発信で「大丈夫や。でもでも怖かったぁ・・・・」と声を聞けた事で一気に安堵しました。

しかし、TVの中のアナウンサーが必死に叫んでいます。

「逃げてくださいッ!!逃げてくださいッ!!津波が来ますッ!!逃げてくださいッ!!」

その数分後、津波警報が大津波警報に変わった瞬間、もっと悲痛な発狂に近い叫び声に変わりました。

再び頭が真っ白になり、「避難してッ!!」と母親に懇願しました。

近所の方が「恵寿病院へ避難せんか」と言ってきたと聞き、東日本大震災の動画を良く見ていた自分は

「ダメやッ!!!!そんなもん人が一杯集まって、もし4階より下にしか上がれなかったらみんな流されて死んでしもうッ!!」

「小丸山公園逃げてッ!!あそこなら10mの津波来ても大丈夫やからッ!!」

喉はカラカラになり動悸が激しく頭がクラクラしました。

東京からスマホに向かって叫ぶ事しかできない自分の無力さに、手が震え頭痛とえずきが止まらなくなりました。

焦りからか最悪の絵が頭に浮かんでしまい、

「神様、お父さん、助けてッ!!」心の中で、いや、言葉に出していたかも知れません・・・・

その時、最後は、本当に神や自分が1歳の時に亡くなった父親頼みなんだなと実感しました。

唯一の救いは電話が繋がっている事、後は家の裏の海の映像がリアルタイムでずっとTVで流れており、津波がきていなかった事でした。

 

結果大きな津波は来ず、気温0度の小丸山公園で震える84歳の母親を、被害が比較的少なかった中能登町の従姉弟が迎えに来てくれ全て安心に変わりました。

普通の有難さや、親への想い、親戚への想い、その後の仲間やお客様からの温かいお心遣い、ただただ全て感謝しかありませんでした。

二度と同じ経験もしたくは無いし、安心して安全に暮らせる毎日をただただ望みます。

あれからもう一年ですか・・・・色々あったし自分にとっては長い長い一年でした。

 

今年一年間自分に関わった全ての方々に感謝致します。本当にありがとうございました。来年も何卒宜しくお願い致します。

それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

能登美 店主